死にたがり

礼服を初めて買ったのはいつだったか。弔辞で着する機会の方が圧倒的に多かった。
今回は、後輩の葬儀のため帰省から戻ってからのとんぼ返りだった。

祖父祖母は父母双方共に亡くなっており、大変お世話になった伯父、叔母も亡くしている。クラスメイトの家族に不幸があったことも。

それでも。後輩の訃報は辛かった。薬で感情が薄い状態においても悲しさがはっきりとわかる。自分より年下の者が亡くなる。それは自分の存在意義を問いかける。

何故生きるべき彼の者が逝き、死にたがりの自分はここにいるのか。

明日死んでも悔いはない。悔いというか、生に対する意欲が無い。だけどお前はちゃっかりと生きているじゃないか。本当に死ぬべきは誰だ。労働もせず社会貢献もせず年老いた親のスネをかじり国民の税金でのらりくらりと暮らしている人間は生きることにどれほどの価値があるのか。

迷っても答えは無い。生きていれば、何かあるかもしれない。死んでみれば、何かわかるかもしれない。どっちに転ぼうがどうでもいいんだ。

そんな自分だから、親しい人には、愛しい人には、生きて欲しい。
病気とか、不慮の事故とか、ある日突然訪れる死は全部死にたがりの人間に降り注ぐだけでいい。

ご冥福をお祈りします。

カテゴリー: 雑記 パーマリンク

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。